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2009年04月06日

三国志演義『赤壁の戦い』にパクリ疑惑?!

ここで中国の歴史からの問題です。

『とある王朝末期。幾つかの勢力が各地に割拠して天下を狙っていました。
そんな中、とある勢力AとBが長江流域でぶつかり合います。
Aは大型の船を鎖でつなぎ合わせ大規模船団にて陣を成し、兵力は60万。
Bは小型の船にて陣を成し兵力は、20万。
兵力差から見てAが勝つかと思われましたが、突如吹き出した東北の風に乗じ、Bの行った火を付けた小型船が突入する火攻めにて、鎖で繋がれた大船団は炎上。
これにより、勝敗は決したのでした。』

この文の内容について、何王朝末期の出来事で、勢力AとBを率いている人物は誰ですか。答えなさい。

・・・

はい、ここで期待通り「後漢王朝末期、勢力Aは曹操で勢力Bは孫権」って答えて頂くと、引っかける文章を書いた私も報われます(笑)。

もちろん、上の答えでは×です。
正解は、「元王朝(モンゴル帝国)末期、勢力Aは陳友諒で勢力Bは朱元璋」。
そして、勝利した勢力Bを率いる『朱元璋』は、後の明の初代皇帝『洪武帝』。
日本の歴史では、室町幕府3代将軍『足利義満』の『日明貿易』でお馴染みの明王朝。その創設の歴史の一幕『ハ陽湖の戦い(ハは番におおざと)』について記述した文章でした。

さて、ここからが本題。
レッドクリフのパート2公開直前記念、『赤壁の戦い』特集〜。

まあ、なんでこんな文章書く気になったかというと、映画『レッドクリフ』(半年くらい前の第1弾の方)のテレビCMで「これを見れば三国志の全てがわかる!」とかいう事を言っていたのに「カチン」ときまして(笑)。
ようやく駄文を書く精神的&時間的余裕も出てきましたので、『赤壁の戦い』を台無しにする文章でも書いてやろうかなぁ、と(笑)。
誇大広告は、正しておかないとね♪

早い話が『三国志演義』の『赤壁の戦い』なんて、誇張とパクリのオンパレードだって話なんですけど。
戦いの結果に嘘が含まれていない為、経緯に多少の誇張や嘘があっても全く問題ない所が、『三国志演義』の作者の凄い所です。

で「史実と演義との比較記事でも書こうかなぁ」と考えていたのですが、YAHOO JAPANさんが先にやってくれてました
これはかなり良いまとめ。どなたが書いたのかは知りませんが、結構詳しい人がちゃんと書いてあります。
私としては「火攻めも実際に行なわれ、大きな戦果をあげた。」(リンク先より引用)の部分だけちょっと反論したい。
私の見解だと「火攻めも実際に行なわれ、そこそこ戦果をあげた。」くらいじゃないかと思うんですよね。
大規模合戦で火まで使用しているのにもかかわらず、魏軍に将校クラスの戦死者が一人も居ないってのが、実際の火攻めがそれ程大規模じゃなかったんじゃないかと考える論拠です。同じ火攻めで敗れた『夷陵の戦い』の蜀軍は、馬良・馮習・張南など司令官・参謀クラスが多数焼死・戦死していますから。

そんで、「史実と演義との比較記事」は、私がやるまでもなくYAHOO JAPANさんがやってくれたので、私は更に別の角度から崩していこうかと思って、冒頭の文章に繋がる訳です。


『三国志演義』を編纂・作成した人は諸説あるのですが、その中で最有力候補なのが、元末〜明初の作家『羅貫中』という人です。
この人も、いろいろ不明な点ばかりなのですが、元末の混乱期に3大勢力の1つ『張士誠』に仕えていたと言う説がありまして。
(ちなみに、モンゴル帝国の元王朝末期は『朱元璋』『陳友諒』『張士誠』の3大勢力が次代の覇権をかけて争う、ちょっとした三国志状態だったのです。)※1
そこから、冒頭に書いた『ハ陽湖の戦い』の事も、羅貫中は情報として細かに知っていたのではないか。
彼の作品『三国志演義』の『赤壁の戦い』は、この『ハ陽湖の戦い』から多くの部分を参考にして(悪く言えばパクって(笑))書いたのではないか。
そんな話が、今より数百年前の清の時代から既にありまして。

具体的には、
 「鎖で繋がれた大型船団」
 「唐突に変わる季節外れの風向き」
 「朱元璋の軍師・劉基が果たした役割と、軍師・諸葛亮の役割の類似性」(※2)
こんな所です。
少なくとも、正史の三国志は、
 「船を鎖で繋いでいた描写は無い」
 「風向きが変わるのを待ち火攻めを行った描写はない」
 「諸葛亮は、劉備と孫権の同盟交渉役であり、合戦の陣中にいた記述は無い」
となっております。
だから、冒頭の問題は「後漢王朝末(以下略)」だと×なんです。鎖や風について、歴史書に記述がありませんから。

西暦1300年中盤を生きた人『羅貫中』が、まるで見てきた聴いてきたかの様な生き生きとした描写で、西暦208年(つまり彼にとって1100年以上前)の『赤壁の戦い』を書けた理由に、西暦1363年の『ハ陽湖の戦い』があったというのは、とても説得力があります。

とは言え、羅貫中が本当に張士誠に仕えていたのかどうかを記す正式な歴史資料も無く。
あまつさえ、本当に羅貫中が『三国志演義』の編纂・作成を行った人物なのかの決定的証拠も無く。
詰まる所、全ては状況証拠と想像だけで補うこの文章。

間違いない事は、
1.『三国志演義』の『赤壁の戦い』は史実と異なる点が多数ある。
2.『三国志演義』の『赤壁の戦い』は史実の『ハ陽湖の戦い』と酷似している部分が多数ある。
この2点。

だから、『三国志』=『赤壁の戦い』って認識は、ちょっと残念に思ってしまうのです。
『赤壁の戦い』は、よく解らない事だらけですから。具体的な戦場の位置も、諸説有ります。
個人的には、『夷陵の戦い』とか『官渡の戦い』とかの方が好きなのです。開戦理由・経緯・結果、全てが良く解って、なおかつ、面白いです。

そんな訳で、この文章を締めます。
・・・レッドクリフ?見に行ってませんし、見に行くつもりも無いですよ。
今更、三国志演義の映像化なんて見てもなぁ。見飽きてますし(笑)。


※1
ちなみに、元王朝(モンゴル帝国)を崩壊させる一端を担った白蓮教の『紅巾の乱』は、目印として紅い布を付けた事からこの名前が付いています。前述の『朱元璋』も『陳友諒』も、この紅巾党から頭角を現した英雄です。
『紅』を『黄』にすると、どこかで聴いた感じの名前に(笑)。
こんな所にも歴史の偶然が存在しています。

※2
ちなみに、日本じゃ全然有名じゃないですが、中国では『諸葛亮』と同格以上に有名なスーパーマジック軍師『劉基』先生(笑)の事は、書き出すとそれだけで一つの記事になってしまうので、興味のある人はリンク先のウィキペディアをどうぞ〜。
核兵器予言とか、マジパネェ(爆笑)。
posted by 淵明 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係
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