小傘:ちょっと待ってよ〜
早苗:はい何でしょう
小傘:うらめしやー
早苗:……
早苗:何か用でしょうか?
小傘:……寂しいねぇ
小傘:驚いてくれないの?
早苗:ええ、まあ慣れましたから
小傘:私達妖怪は、人間を驚かす為に頑張っているというのに
早苗:あれ? 私は人間を食べる為に頑張っていると聞きましたが……
小傘:食べると言っても肉を食べる者もいれば心を食べる者もいるわ
小傘:貴方達人間が驚いてくれないと私はひもじい
早苗:難儀ですねぇ。でもまぁ、私も楽しさが漸く判ってきた所で、驚きは特に……
小傘:楽しさ?
早苗:妖怪を退治する事の楽しさを
(弾幕ごっこ開始)
・・・
(弾幕ごっこ終了)
小傘:ああ、驚いて貰えない妖怪に価値なんて……
早苗:まあまあ、そんなに悲観的にならないで
(以下略)
(東方星蓮船・自機:東風谷早苗(神奈子装備)・ステージ2の会話より)
東方星蓮船における東風谷早苗と多々良小傘の会話が、東方儚月抄における八雲紫の行動を説明するのに一番解りやすいかもしれないと思い、冒頭に引用してみました。
この会話の内容を覚えておいて頂けると、ちょっとは理解の助けになるかと。
さて、一昨日の25日に発売されたキャラ☆メル掲載の小説第9話をもって、遂に東方儚月抄本編が完結しました〜!
(神主が監修している、あらたさんの4コマ版儚月抄はまだ続いていますが、あくまで本編終了って事で。)
と言うわけで、私なりに『東方儚月抄』とはどういう作品だったのか振り返ってみたいと思います〜。
『東方儚月抄』はどんな話なのか?それを一言で言うと、
八意永琳が八雲紫にビックリさせられる話
・・・身も蓋もない感じですね(笑)。
以前よりこのブログでも何回か言っていましたが、蓬莱山輝夜・八意永琳の2人は、『妖怪』と『人間』のどちらにも属さない存在でした。
(普通の『月人』(綿月姉妹等)は、分類としては神様であり、つまり『妖怪』である。)
幻想郷の里の人間の側からは、既に彼女らは風変わりながらも人間として認められていました。東方求聞史記によると、輝夜は里の人に古い物語を話して聞かせてあげたりしているそうですし、永琳は薬屋として里の人に薬を売ったり病人を診察したりしています。そんな記述のある東方求聞史記において、彼女らの解説文は人間の英雄の欄に入っています。
それが遂に、この『東方儚月抄』という作品で、輝夜・永琳の2人は、妖怪側から人間として認められ、晴れて彼女らは幻想郷で『人間』であると確立されました。
・・・いや、彼女らと言うより、『人妖の境界』を確立しなくてはならない標的は『八意永琳』ただ1人だった様ですね。
紫の、というか物語全体での『蓬莱山輝夜』に対するスルーっぷりが泣けてきます(苦笑)。
『人妖の境界』を確立しなくてはならない標的は『八意永琳』ただ1人だった。
つまり、『不老不死』=『人外』=『妖怪』という訳では無かったと言う事です。
小説版儚月抄にて『藤原妹紅』が主役の回があった理由が、ここにあるのだと思います。
以前、藤原妹紅が小説版儚月抄に登場したときに書いた私の記事にあるように、神主zunさん曰く「人間である一番の憑拠は、人間であると言う想い。」との事。
つまり、人間と妖怪の境界は、ここにあるのでしょう。
『藤原妹紅』は不老不死だが、蓬莱山輝夜に対する愛憎渦巻く複雑な心情を抱え、自分は人間だと思いながら生きている。
『蓬莱山輝夜』は、地上の人間として生きていく事を決めたが、一体どうすれば地上の人間に成れるのか、迷い試行錯誤しながら生きている。
『八意永琳』は、輝夜に付き従って人間をやっているだけ。自分が人間であるとも妖怪であるとも特に考えてはいない。
「自分は人間だ」と思いながら、それ故に不安や迷いを抱える『輝夜』『妹紅』。
そんな迷いは持たずに、知恵で全てを予見し、不老不死で死ぬ事もなく、手についた薬師という職も全うする、完璧な存在『永琳』。
幻想郷でも最強クラスの力を持ちながら、そんな人妖の境界がハッキリしない存在がいるのは、八雲紫にとっては気に入らなかったのでしょうかね?
「新しく住人となった月の民は、妖怪ではなく人間である事を選んだの。つまり、永遠亭あの者達は人間を選んだのよ」
(中略)
「しかし、幻想郷の人間の義務を果たしていない」
(小説版東方儚月抄・第五話『果てしなく低い地上から』引用)
小説第五話の紫のセリフを引用してみました。
幻想郷の人間の義務。妖怪との付き合い方。
「人間は妖怪に食べられる」
「妖怪は人間に退治される」
これが幻想郷の根幹の鉄則ですから。
妖怪としての八雲紫の目的は、詰まるところ、冒頭の小傘と同じ様な事なのです。
そして、今回の小説最終回の最後の数行。ここに到達する為に『東方儚月抄』という作品があった訳ですね。
人間は妖怪に驚かされたり、妖怪の行動を不気味に感じたりする。
それが古来より続く、妖怪と人間の正しい関係。
『つるべおとし』とか『からかさお化け』に人間は驚かせられますし、『小豆研ぎ』とか『枕返し』の行動に人間は何とも言えない不気味さを感じます。
『東方儚月抄』とは、八雲紫という『妖怪』が八意永琳という『人間』を驚かせる、怪談物語だった訳ですね。
朝起きて何故か枕が逆になっている事に「妖怪の仕業か」と気味が悪くなるように、完全に撃退したはずの地上の妖怪から注いで貰った酒の味に八意永琳はビックリする訳です。そして「気味が悪い。妖怪の仕業か」と思う。
こんなくだらない事の為だけに第二次月面戦争を仕組んだ紫に、得体の知れない不気味さを感じる永琳。
人間が妖怪に驚かされて、それで話はおしまい。それ以上のオチなどありません。例えば小泉八雲の怪談(『狢』等)だって、そういうものでしょう?
前々から考えていたのですが、私が思うに『東方儚月抄』とはジャンル的には『志怪小説』(※注)なのではないでしょうか?
こう考えれば、東方界隈で賛否両論が沸き上がった事も説明がつきます。
現代の、設定も複雑でメリハリのきいた各種メディアの作品に慣れ親しんだ人々には、『志怪小説』は辛いでしょう(笑)。
私は『聊斎志異』どころか『閲微草堂筆記』を楽しく読める人種なので、『東方儚月抄』も実に楽しく読めたのですが(笑)。
まあ、私はそう思うって事です。他の人には、他の感じ方があるでしょう。
さて、これで晴れて「妖怪を退治する」立場になった永夜抄の面々。
今後の東方シリーズで、輝夜や永琳や妹紅が自機として登場する可能性も出るのかなぁ?
・・・なさそうだなぁ・・・。
まあ、完結を機に永夜抄関係の二次創作が盛り上がる事を祈りつつ、終わりたいと思います。
それでは〜。
(※注)志怪小説
中国の古典小説のジャンルの一つ。文字のまんま、『怪を志(しる)した小説』である。
基本的に、「こんな怪異があった」という事を記述しているだけなので、話に『オチ』とか『盛り上がり』とかは無い。
日本の昔話の様に、悪い鬼をやっつけたとか、欲張りな人が最期に損をする、なんていうメッセージ性も皆無。
ただ、現実にあった、もしくは噂される事を、記述して残すのが目的。実に中国らしい小説である。
この『志怪小説』が時を経て、唐代に『伝奇小説』として発展。怪を記述する事よりも、フィクションとしての話の面白さを追求していくようになっていく。