こしらえた家は町中にある
けれども来客など殆ど無い
「そんな事が可能なのか?」と訊かれるが
心が浮世から遠く離れていれば 所在地も自然と浮世から離れてゆくものなのだ
******************
これが理想。
大好きな詩の出だし部分を、適当な日本語に意訳してみました。
酒を飲むと、NHKの○詩紀行の江○徹ばりに、この詩を吟じたくなります。
と言う訳で、いろいろめんどくさくなってきたので、当分ツイッターというものを放置します。
私、生来、掲示板とかチャットとか不得手な質でして。苦手なのです。
もともとツイッターは『神主ZUNさんの記述を読みたい』『長期にブログ更新を放置した場合に簡易的な意見表明が出来る』以上2点を目的として始めたものです。
ところがどっこい。使い続けていくと、何やら掲示板かチャットかと言わんばかりのものに変容してしまっている事に先日気付きました。
当初の予定と違い過ぎます。そして冷静に見つめるに、この変容したツールは私の生活に不要なものです。
そもそも私は『ツラ突き合わせて、杯酌み交わして行う』事こそが、コミュニケーションの王道だと信じている古い人なのです。
電話・手紙・ネットをコミュニケーションツールとして使うのは、私の性に合いません。と言うか、めんどくさいです。
つまり掲示板かチャットの様に変容したツイッターは、私には不要な訳です。よって放置。
ここで「では何の為にネットで自身のサイトを10年以上持っているのか」と疑問に思われる方も居るかもしれませんので、蛇足ながらその理由を書き足しておきましょう。
その理由はブログタイトルの下に書いてある様に『日々心に思いついたことを記録していく』為です。それが好きなのです。
詰まる所、嗜好の方向性は『歴史の記述』です。
書いた内容について、議論する事は求めていません。
たまに考えるのですが、不老不死の蓬莱人になって、何も届かない所から、人類の歴史をずっと1人で記述していけたら愉しそうですよね。
だから、永夜抄の二次創作で不老不死を否定するものが多いと、首を傾げてしまう訳です。『不老不死だって愉しそうなのに』と。
あ、でもブログ記事へのコメントは常時歓迎しています。
コメントは、私のブログ記事を読んだ人からの意見の表明って事で受け止めています。他者の意見は嬉しいですし、参考になります。
だからと言うか、コメント欄でその内容について討論をする気も有りません。コメントへ私からするお返事のスタンスとしては、コメントへのお礼とコメント内容に対する簡単な感想を添えるだけです。
今までずっと、このスタンスで通してきたつもりです。コメント内容について、善し悪しだとか、意見をぶつけるだとかは、一度もやった事が無い筈です。
とまあ、こんな甚だやる気の無い生き様の私ですが、それでもブログの記事が読みたい人は、今まで通り、よろしくです。
ツイッターのアカウントは、今年の例大祭で経験した様に、イベント会場とかで使えますから、残しておくつもりです。
そして今後は、自分がつぶやきたい事を、たまに勝手につぶやくだけにする予定です。
リプライは、基本、殆どしません。
それでも構わない人は、今まで通り、よしなに〜。
2010年07月19日
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