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2011年09月09日

『重陽の節句』と言えばこの漢詩

9月9日と言えば『五節句』の一つ『重陽の節句』です(『重陽の節句』について詳しく知りたい人はリンク先Wikipediaをどうぞ)。
現代日本においては『五節句』の中で一番目立たない『重陽の節句』ですが、私は結構好きだったりします。
何せ自分の誕生日なので。酷く個人的な理由で申し訳ないですが(笑)。


そして、もともと『節句』ってものは暦法と共に中国で生まれたものですので、本場はアチラです。
漢詩にも、『節句』を読んだものが当然あります。やっぱり季節ものは題材にしやすいですし。
で、もちろん『重陽の節句』を読んだ漢詩も幾つか存在します。
そんな中、私の一番好きな『重陽の節句』の詩は、杜牧の【九日齊山登高】です。




九日齊山登高   杜牧

  江涵秋影雁初飛
  與客攜壺上翠微

  塵世難逢開口笑
  菊花須插滿頭歸

  但將酩酊酬佳節
  不用登臨恨落暉

  古往今來只如此
  牛山何必獨沾衣


9月9日、齊山に登る

長江の水面には秋の景色が映り、空には今年初めての雁の群れが飛んでいる。
そんな中、親しい客人と共に酒壺を携えて齊山に登った。
(注:昔の中国では『重陽の節句』に小高い丘に登って宴会をする風習があったのです)

今の嫌な世の中、大口を開けて笑えるようなことは滅多に無いけど、
こんな日くらいは菊の花でも頭髪に挿して、おどけた感じで帰ろうじゃないか。

ただただ酩酊するほど酔っぱらうことで、よい節句の日にむくいることが出来たのだから、
登った山から見える落日に向けて、今日が終わってしまうことを恨むなんて不用なことだ。

古代から今現在まで、世界はこうして時間が流れているのだから。
その昔、牛山に登って涙で衣を濡らした人が居たそうだけど、そんな嘆きは何の意味も無いことだ。
(注:『牛山』とは、春秋時代の斉の景公が牛山に登って「国は永遠に続くのに、自分の身は死の定めから逃れられないのか」と嘆いた故事から詩に引用している単語です)




良いですよね〜、この詩。
「めでたい日は酩酊するほど酔っぱらうのが一番!」って感じでアルコール分多めな内容ですし(笑)、夕暮れの一瞬と永遠に続く時間の流れを対比させてるのも良いですし。
『古往(こおう)、今來(こんらい)、只、此くの如く』とか、口に出して読みたくなる格好良さがある響きです。


あ、あと上記の訳は、私が適当に自分解釈で大雑把に意訳したものなので、もっと正しい内容を知りたい人は本屋さんで杜牧の詩集でも買って読んで下さい。細かい内容に責任と自信は持てません(笑)。
以上、「今夜は酒を呑むぞ〜」とか考えつつ、お終い。
posted by 淵明 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2009年12月27日

三国時代・曹操の陵墓がついに確定!?

忘年会から帰ってきて、その後やる予定だった全ての事が吹っ飛んだ。
これは、2009年末に来て、最大のニュース!!!


場所は、河南省安陽県安豊郷西高穴村との事ですので、魏国の王都『ギョウ(漢字が古いフォントだと出ない)』の西にあたる場所ですね。
Googleマップで位置は特定したのですが、これって画像使って大丈夫なのかな?
画像使えるか解らないので、とりあえずリンクを貼っておこう。河の南側に『西高穴村』って確認できます。


それにしても、やっぱり魏王らしく、魏の国都付近に埋葬されていたのですね〜。
三国時代の有名な陵墓だと、呉の朱然の陵墓が、いろいろな副葬品が発見されて、とても研究に役立っていますが、曹操の陵墓はどんな副葬品が出てきているのかな?


そして、『河南省文物管理局』の曹操の陵墓に関する調査のページにリンクを貼っておく
本当に、魏武王って書かれた石碑の写真とか載ってるよ!!!凄ぇ!!!


いろいろ、三国時代の事についての新発見がある事を期待しつつ、終わる!


追記(28日12時30分)
勢いで、自分で色々調べたけど、『三国志ニュース』さんとかの超大手でも、既に詳しく調べてあった
Googleマップで調べるとか、わざわざ苦労して自分で調べなくても良かったよ(苦笑)。
posted by 淵明 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2009年09月16日

上杉謙信にまつわる俗説

Faxiaさんのサイトのweb拍手の内容を読んで、ちょっと思う所があったので書いてみるよ。
なんで自分のブログで書くかというと、絶対に文章が長くなるから(笑)。

まずは、『4Gamer.net』さんのこちらの記事を読んでみて下さい。
ここで出てくる“上杉謙信が女性だったら”について。
「エロゲの真似」と言われると、「ちょっと待って、一応理由があるから」と口出しをしたくなってしまう御節介な私です(笑)。

まあ、コーエーがこのイベントを用意した事について、最近流行の『歴史物女体化エロゲ』の影響が無いか有るかは、制作しているコーエーにしか解りませんので当方は断定出来ませんが、ここに出てくる『上杉謙信女性説』は、実は結構前から主張する研究家がいたりする俗説なのです。
詳しくは、いつもの如くウィキペディア先生に『上杉謙信女性説』をまとめたものが有りますので、お暇な人は御一読を。

しかし、なんで『上杉謙信女性説』なんて言う、突拍子もない話を真面目にする作家や研究家が居るかというと、やっぱり上杉謙信の特殊な人物像が有ると言わざるを得ないでしょう。
歴史マニア以外にはあまり知られていないのかもしれませんが、上杉謙信は実は一度も結婚した事が無いのです。生涯独身者です。
更に、実子も1人も居ません。居るのは養子だけです。つまり、愛人や側女の類も全く居なかった様です。
普通の戦国武将がキチンと世継ぎを残したり、多数の政略結婚をしている状況を考えると、明らかに変わり者、と言うか異常です。恐らく、この様な事実を背景に、色々想像力豊かになる作家や研究家が出てきてしまうのでしょう。

なんで上杉謙信が生涯独身だったのかは諸説有りまして、
  1.厳格な宗教家だったから
  2.ガチでホモだったから
  3.実は女
以上の3つくらいですかね。
普通に考えれば、『1.厳格な宗教家だったから』なんですけど(笑)。

まあ、そんな訳で『上杉謙信女性説』は、エロゲに関係なくそこそこ有名な俗説なんだよ、って事で。
そう言えば、『戦国ランス』で上杉謙信が女でしたけど、アレは流石はアリスソフトですね。毛利元就・武田信玄・徳川家康などは、ちゃんと男(オス?)でしたが、上杉謙信だけ女だったというのは、やっぱりこの俗説の存在を意識して設定を作ったんでしょうね。

web拍手した人が、全て知った上での発言だったら御節介極まりない記事ですね。その場合は、御節介な私を笑ってやって下さい。
それでは、この辺で。おしまい。
posted by 淵明 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2009年06月25日

今週のジャンプの水滸伝

嫌いだと言いながら、結局立ち読みしている訳ですが(苦笑)。

今週は、普通に読める漫画でした。
考えてみるに、やっぱりあの主人公が嫌いなんですね、私は。
今週は主人公のあいつの出番が少なく、最初は張青の酒場にいる宿星の面々、続いて王進の家での王進や林冲のキャラ出しメインのストーリー展開、となっていましたからね。
ホント、あいつが主人公でなければ、もう少し楽しめそうなのに。

そして、数週前に張った伏線を予定通りここで使用ですか!
蔡京だか高キュウだか童貫だか、誰が言ってたかは忘れたけど、関将軍を出陣させる様な事言ってたからね。
個人的に、これは良いアイディアだと思います。
つまり、世間一般での『三国志演義』ブームに便乗して、関羽の子孫、宿星の席次5位である大刀の関勝を早々に登場させて話を盛り上げる訳ですね。
今週号のラスト1コマに絵だけで登場でしたが、あれは間違いなく関勝でしょう。

原作だと、関勝は呼延灼の後に登場する訳ですが、仲間集めも最終版になっての登場ですから、あんまり活躍の場がないんですよね。
折角、先祖の関羽にそっくりな風貌、ヒゲも関羽と同じく長くて、使用する武器も同じ青龍偃月刀、乗ってる馬も赤兎馬という、他作品からのキャラのパクリも大概にしろ(笑)って存在なのに、なかなか出番が回って来ないのは勿体ないですから。
読者が全く知らないキャラをだすより、とりあえず覚えてもらいやすいインパクトのあるキャラを持っていくのは良いと思いますよ。
それに強くて、席次も上位だし。

個人的には、水滸伝で一番好きなのは没羽箭の張清なので、彼が良い感じのキャラなら、主人公の不愉快さも多少埋まるのでしょうが。
まあ、そんな先まで連載を続けるのが、大変ですね。

いろいろ最近の水滸伝情勢を考えてみるに、この漫画、どうも北方健三版の水滸伝の影響が、もしかしたら強いのかなぁ、と思った。
う〜ん、北方版水滸伝は、あまりの原作クラッシャーぶりに、全然興味を持っていなかったから気付かなかったよ。

まあ、北方版水滸伝も日本人好みの味付けで売れてるみたいだし、私は好きになれなくても、この漫画も頑張れば結構いけるのかもね。
そんな感じで。おしまい。

web拍手の返事
posted by 淵明 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2009年06月18日

テレビの蒼天航路・ジャンプの水滸伝

さて、そろそろ結構な話数を見た事ですし結論付けても良い頃合いなので、書いてみようかなぁ、と。


まず、テレビアニメの『蒼天航路』。
原作コミックは、全巻所持している程、好きな作品です。
作画は良いし、シナリオも所々アレですが、頑張ってテレビアニメ用にアレンジしています。
ただ、それらを全て台無しにする程悪い部分が一つ。

宮野真守氏を曹操の声役に選んだ奴を、
思いっきりゲンコツで殴ってやりたい。


とりあえず、これが全てですかね。
別に、宮野真守氏は嫌いでもなんでもないんですよ。若いのにあっちこっちで大きな役やって、頑張ってますよね。私の妹と同い年ですよ、彼。
線の細い二枚目の声やらせたら、とても嵌っていると思いますよ。
・・・だからこそ、曹操の声の似合わない事似合わない事。
本当に、似合わない事似合わない事。
大事な事なので何度でも言いますよ。
彼の声では、曹操の声として、迫力が無さ過ぎです。

関智一氏の演じる劉備が、演技・声質の両方ともにキャラとマッチしていると心の底から思えるだけに、曹操の声がミスキャストである事が本当に残念でなりません。

宮野真守氏は・・・そうですね。良く言えば、周瑜とか諸葛亮とかならば、似合うんじゃないですかね。
個人的には、何晏が似合うと思うんですけど。まあ、そんな終盤までアニメでやるのかどうかは知りませんが。

曹操という人物のキャラクターで魅せる作品であるだけに、曹操役が似合わないというのは、埋めようのない致命的な欠陥なので、個人的にはテレビアニメ版『蒼天航路』は大失敗だと考えています。


次、ジャンプで始まった『水滸伝』。
正式なタイトルは知りません。立ち読みしてるだけなんで。
アレは・・・なんなんですかね?
どこが面白い・・・のですか?

作者に会って訊いてみたい。
「この漫画の何処が面白いと思ってあなたは描いているんですか?」と。


まず、主人公が嫌い。
戴宗とキャラが違いすぎるとかそんな問題以前に、あの主人公の言動が嫌い。
少年漫画のバトル物の主人公の言動とは思えない。
そして、林冲のキャラ設定やデザイン見て思ったんだけど、腐女子向けに描いてるつもりなんですかね?
歴女ブームとかいう風潮に乗っかって、「『封神演義』の頃の客層よ、もう一度」とか思っちゃってるんですかね?
だとしたら、ジャンプ編集部も救いようのない馬鹿揃いですね♪

そんな訳で、画風がどことなく藤崎竜の『封神演義』に似てはいますが、似てるだけですね。
藤崎竜『封神演義』は、一話目から「これは面白い!」とビックリしましたが、この水滸伝は一話目から「これはつまらない・・・」とビックリしました。
主人公の攻撃力の秘密が、紙で手を切るのと同じ「摩擦力」で斬っているとかいう説明見た時は、「これで強さの説明をしたつもりなんだ・・・弱そうにしか思えない」と感激しました。
藤崎竜『封神演義』は、原作の安能務『封神演義』を読んでる人間にとっては、作品の根幹である【宝貝でのファンタジックなバトル】を最大限に生かしつつ、少年漫画らしいアレンジをし、原作の大まかなストーリーに沿いつつ、藤崎竜らしいSFオチに持っていくという、ホントに上手い出来でした。
ところがこの水滸伝モノは駄目だ。水滸伝の根底に流れるテーマ【侠】を、全く活かせていない。
漫画の題材が水滸伝である意味が、全く解らない。

そもそも、水滸伝という題材選びからしてチャレンジ過ぎます。

『封神演義』は『仙人や妖怪がバンバン出てきて殺し合い、最後は味方の王様が天下取って、敵の妖怪もやっつけて、めでたしめでたし、おしまい。』で終わります。神話と歴史が混然としている作品設定ですし、多少強引な事をしても大丈夫というメリットもあります。

ところが水滸伝。どうやっても、悲劇でしか終われません。
原作自体が、悲劇の終わり方なのですから。
日本で普及している百二十回本では、108人の一味の首領である宋江が、朝廷の悪い大臣に毒殺されて終わるという有様です。
かといって、中国で普及している七十回本では、108人の仲間が揃い「俺たちの戦いはこれからだぜ!」で終わるという、まんまジャンプの打ち切り漫画みたいな終わり方になってしまいます。
だからこそ、『水滸後伝』をはじめとする水滸伝の2次創作作品が、中国ではいくつも出ている訳ですが。

歴史の上では、宋王朝は水滸伝開始の年代から間もなくして、一旦滅びます。
国内で相次ぐ反乱、建国以来の悲願・燕雲十六州の奪取にこだわるあまり金国に頼りすぎ、そして結局『靖康の変』を招いて宋は滅びます。
水滸伝開始時の皇帝・徽宗は、最終的に女真族の金に国を滅ぼされ、北方に捕虜として連行され、死して後まで、故郷の地を踏む事が出来ない運命なのですから。
水滸伝が『歴史物』という枠の中にいる以上、統一王朝としての宋の滅亡、そして金と南宋の分裂時代に中国の歴史が突入する事は避けられない訳です。

悲劇で終わらない方法として考えられるのはただ一つ。水滸伝とは似ても似つかぬ話にすれば解決するのですね。歴史とか気にしないで。
・・・なるほど、だから魯智深が坊主で仲間になってるのにも関わらず、林冲が官軍にまだ居るなんていう時系列が滅茶苦茶な話になるんですね〜。
いっそのこと、水滸伝とか関係ないオリジナル作品を描けば良いのに♪

初期の話で、五代の時代とか宋がお金で平和を買ってるだとか、中途半端に史実っぽい事言っちゃって、どうやって収集つけるんでしょうかね?
しかも、群像劇的な話の進み方をする水滸伝で、主人公を1人設定して、それで話を進めていくって、どんなチャレンジスピリッツですか?

まあ、そんな先の話なんて、どうでも良いか。
早々に打ち切りだろうし。
連載期間予想は、保ってコミック2巻分かな。
頑張って下さい。


書きたい事かいて気が晴れたので、終わる。
posted by 淵明 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2009年04月06日

三国志演義『赤壁の戦い』にパクリ疑惑?!

ここで中国の歴史からの問題です。

『とある王朝末期。幾つかの勢力が各地に割拠して天下を狙っていました。
そんな中、とある勢力AとBが長江流域でぶつかり合います。
Aは大型の船を鎖でつなぎ合わせ大規模船団にて陣を成し、兵力は60万。
Bは小型の船にて陣を成し兵力は、20万。
兵力差から見てAが勝つかと思われましたが、突如吹き出した東北の風に乗じ、Bの行った火を付けた小型船が突入する火攻めにて、鎖で繋がれた大船団は炎上。
これにより、勝敗は決したのでした。』

この文の内容について、何王朝末期の出来事で、勢力AとBを率いている人物は誰ですか。答えなさい。

・・・

はい、ここで期待通り「後漢王朝末期、勢力Aは曹操で勢力Bは孫権」って答えて頂くと、引っかける文章を書いた私も報われます(笑)。

もちろん、上の答えでは×です。
正解は、「元王朝(モンゴル帝国)末期、勢力Aは陳友諒で勢力Bは朱元璋」。
そして、勝利した勢力Bを率いる『朱元璋』は、後の明の初代皇帝『洪武帝』。
日本の歴史では、室町幕府3代将軍『足利義満』の『日明貿易』でお馴染みの明王朝。その創設の歴史の一幕『ハ陽湖の戦い(ハは番におおざと)』について記述した文章でした。

さて、ここからが本題。
レッドクリフのパート2公開直前記念、『赤壁の戦い』特集〜。

まあ、なんでこんな文章書く気になったかというと、映画『レッドクリフ』(半年くらい前の第1弾の方)のテレビCMで「これを見れば三国志の全てがわかる!」とかいう事を言っていたのに「カチン」ときまして(笑)。
ようやく駄文を書く精神的&時間的余裕も出てきましたので、『赤壁の戦い』を台無しにする文章でも書いてやろうかなぁ、と(笑)。
誇大広告は、正しておかないとね♪

早い話が『三国志演義』の『赤壁の戦い』なんて、誇張とパクリのオンパレードだって話なんですけど。
戦いの結果に嘘が含まれていない為、経緯に多少の誇張や嘘があっても全く問題ない所が、『三国志演義』の作者の凄い所です。

で「史実と演義との比較記事でも書こうかなぁ」と考えていたのですが、YAHOO JAPANさんが先にやってくれてました
これはかなり良いまとめ。どなたが書いたのかは知りませんが、結構詳しい人がちゃんと書いてあります。
私としては「火攻めも実際に行なわれ、大きな戦果をあげた。」(リンク先より引用)の部分だけちょっと反論したい。
私の見解だと「火攻めも実際に行なわれ、そこそこ戦果をあげた。」くらいじゃないかと思うんですよね。
大規模合戦で火まで使用しているのにもかかわらず、魏軍に将校クラスの戦死者が一人も居ないってのが、実際の火攻めがそれ程大規模じゃなかったんじゃないかと考える論拠です。同じ火攻めで敗れた『夷陵の戦い』の蜀軍は、馬良・馮習・張南など司令官・参謀クラスが多数焼死・戦死していますから。

そんで、「史実と演義との比較記事」は、私がやるまでもなくYAHOO JAPANさんがやってくれたので、私は更に別の角度から崩していこうかと思って、冒頭の文章に繋がる訳です。


『三国志演義』を編纂・作成した人は諸説あるのですが、その中で最有力候補なのが、元末〜明初の作家『羅貫中』という人です。
この人も、いろいろ不明な点ばかりなのですが、元末の混乱期に3大勢力の1つ『張士誠』に仕えていたと言う説がありまして。
(ちなみに、モンゴル帝国の元王朝末期は『朱元璋』『陳友諒』『張士誠』の3大勢力が次代の覇権をかけて争う、ちょっとした三国志状態だったのです。)※1
そこから、冒頭に書いた『ハ陽湖の戦い』の事も、羅貫中は情報として細かに知っていたのではないか。
彼の作品『三国志演義』の『赤壁の戦い』は、この『ハ陽湖の戦い』から多くの部分を参考にして(悪く言えばパクって(笑))書いたのではないか。
そんな話が、今より数百年前の清の時代から既にありまして。

具体的には、
 「鎖で繋がれた大型船団」
 「唐突に変わる季節外れの風向き」
 「朱元璋の軍師・劉基が果たした役割と、軍師・諸葛亮の役割の類似性」(※2)
こんな所です。
少なくとも、正史の三国志は、
 「船を鎖で繋いでいた描写は無い」
 「風向きが変わるのを待ち火攻めを行った描写はない」
 「諸葛亮は、劉備と孫権の同盟交渉役であり、合戦の陣中にいた記述は無い」
となっております。
だから、冒頭の問題は「後漢王朝末(以下略)」だと×なんです。鎖や風について、歴史書に記述がありませんから。

西暦1300年中盤を生きた人『羅貫中』が、まるで見てきた聴いてきたかの様な生き生きとした描写で、西暦208年(つまり彼にとって1100年以上前)の『赤壁の戦い』を書けた理由に、西暦1363年の『ハ陽湖の戦い』があったというのは、とても説得力があります。

とは言え、羅貫中が本当に張士誠に仕えていたのかどうかを記す正式な歴史資料も無く。
あまつさえ、本当に羅貫中が『三国志演義』の編纂・作成を行った人物なのかの決定的証拠も無く。
詰まる所、全ては状況証拠と想像だけで補うこの文章。

間違いない事は、
1.『三国志演義』の『赤壁の戦い』は史実と異なる点が多数ある。
2.『三国志演義』の『赤壁の戦い』は史実の『ハ陽湖の戦い』と酷似している部分が多数ある。
この2点。

だから、『三国志』=『赤壁の戦い』って認識は、ちょっと残念に思ってしまうのです。
『赤壁の戦い』は、よく解らない事だらけですから。具体的な戦場の位置も、諸説有ります。
個人的には、『夷陵の戦い』とか『官渡の戦い』とかの方が好きなのです。開戦理由・経緯・結果、全てが良く解って、なおかつ、面白いです。

そんな訳で、この文章を締めます。
・・・レッドクリフ?見に行ってませんし、見に行くつもりも無いですよ。
今更、三国志演義の映像化なんて見てもなぁ。見飽きてますし(笑)。


※1
ちなみに、元王朝(モンゴル帝国)を崩壊させる一端を担った白蓮教の『紅巾の乱』は、目印として紅い布を付けた事からこの名前が付いています。前述の『朱元璋』も『陳友諒』も、この紅巾党から頭角を現した英雄です。
『紅』を『黄』にすると、どこかで聴いた感じの名前に(笑)。
こんな所にも歴史の偶然が存在しています。

※2
ちなみに、日本じゃ全然有名じゃないですが、中国では『諸葛亮』と同格以上に有名なスーパーマジック軍師『劉基』先生(笑)の事は、書き出すとそれだけで一つの記事になってしまうので、興味のある人はリンク先のウィキペディアをどうぞ〜。
核兵器予言とか、マジパネェ(爆笑)。
posted by 淵明 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2009年02月19日

中国小説豆知識 第1回 『小覇王』の意味

先日、サイト巡回していた所、とある絵師さんの所で書かれていた三国志大戦のイラストにて、『小覇王』という単語を曹操に使用していた?様に見えたんですね。
見間違いかもしれませんが。
それを見て「オイオイ」と苦笑した訳なのですが。

三国志演義で『小覇王』と言ったら、孫策の通り名です。
最近は、呉の君主の中で孫策が一番人気がある様で、いろいろな三国志演義を元にした作品(『一騎○×』とか『真恋△□双』とか)で孫策が活躍しており、それに伴い『小覇王』という【見た目が良い感じ】の通り名も有名になっていますね。

しかし、ふと考えたのです。
「そもそも、普通の人は『小覇王』の正しい意味が、解ってないんじゃないか?」と。

日本で『覇王』と言ったら、普通に『覇道をゆく王様』と言った程度のイメージで皆さん捉えていると思うのですが、中国の小説や歴史書で『覇王』と出てきたら、特定の個人を挿している場合が多々有ります。
それは、『西楚覇王』という王座に歴史上正式に就任している『項羽』の事です。
『項羽』と言えば、『四面楚歌』でとても有名なので、皆さん名前くらいは知っていると思います。司馬遷の史記からの抜粋で『垓下の戦い』のくだりを、高校時代に漢文で習いませんでしたか?
京劇にも、その四面楚歌の状況を元にした『覇王別姫』という超有名演目がありますが、この演目名からも解る様に、中国で『覇王』と言ったら『項羽』です。丁度日本で『判官』と言ったら『源義経』の事を言ってるのと同じような感じです。

つまり、中国の小説『三国志演義』で『小覇王』という通り名が出てきたら、これは『項羽の再来』と言った感じの意味になります。
『小覇王』の小は、英語で言うジュニアみたいな感じです。『項羽ジュニア』。
おそらく日本人の感覚としては、『小覇王』という単語から「まだ天下統一してないけど、覇王の素質を持った若き君主」といった感覚を抱くかもしれませんが、正しく言えばそれは間違いです。
ちなみに、ウィキペディアの孫策の項にも、注釈で【「覇王」とは項羽の称である。】と、キチンと書かれていますね。

中国の小説ではこういった通り名がとてもよく使われています。中国の歴史全般に詳しいと、色々ニヤリと出来る訳です(笑)。

そう言えば、水滸伝にも『小覇王』周通という人物が出てきます。
しかし、このキャラは【席次八七番・地空星】という、一〇八人の英雄の中ではかなり下っ端キャラで、ほとんど活躍しません(笑)。『小覇王』という通り名が勿体ないキャラです。

他にも水滸伝にはこういった、『小○○』という通り名を持つキャラがいっぱい出てきます。

『小温侯』呂方の『小温侯』は、呂という名字から解るとおり三国志の『温侯』呂布の再来を意味しています。このキャラは呂布の強さに憧れているキャラで、持ち武器も呂布と同じ方天画戟を使用しているという、生粋の呂布ファンです(笑)。主役の宋江の親衛隊なのでかなり出番は多く、マニア受けしそうなキャラです。

『小李広』花栄は、漢の時代に異民族との戦いで活躍した名称『李広』の再来って事で、『小李広』って名前になっています。李広には弓の名手としてのエピソードが伝えられていて、そこから水滸伝一の弓の使い手花栄には『小李広』ってあだ名が付いている訳です。ちなみに、中島敦の小説『李陵』の登場人物である李陵は、李広の孫にあたります。

『小尉遅』孫新の場合は、ちょっと他のキャラと事情が違うかもしれません。孫新の場合は、兄の孫立が『病尉遅』(意味:肌の色の悪い尉遅敬徳・・・褒めてるのか(笑))という通り名なので、弟の孫新が兄と関連って事で『小尉遅』なのだと思います。・・・だって【席次百番・地数星】が尉遅敬徳の再来なんて、有り得ませんよ(笑)。説明が送れましたが、尉遅敬徳って言う人は、日本にも遣唐使でお馴染みな、唐王朝建国に尽力した功臣の1人です。詳しく書くと益々長くなってしまうので、興味のある人はリンク先のウィキペディア先生をどうぞ。

そんな感じで長々と書いてきました『小覇王』の意味。解って頂けましたでしょうか。
それにしても、孫策ほど『小覇王』の通り名が似合う存在もなかなか居ないでしょう。出身・年齢・生き様・死に様。全てが『小覇王』項羽の再来に相応しい。
そもそも、正史に一騎打ちの様子が書かれている君主も、そうそう居ないでしょう(笑)。三国志演義で描かれている孫策と太史慈との一騎打ちは、きちんと歴史書にも記載されている史実なのです。

中国の小説関係で『小○○』なんて通り名が出てきたら、元ネタを探して、さらに元ネタも読んでみる、なんて事をすると楽しいですよ〜♪
それでは〜。
posted by 淵明 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2008年09月05日

あなたの身近な三国志 第1回

さて、唐突に質問です。
三国志の人物、魏の『司馬懿』と呉の『孫権』にはとある共通点があります。それはなんでしょう?


この質問だけで、三国志に詳しい人には何の話をしようとしているのか、バレバレですね。
適当に始めてみました『あなたの身近な三国志』。第1回と銘打ってありますが、2回目があるかは不明です。


答えは出ましたか?難しいですか?
ヒントは、『字(あざな)』にあります。『司馬懿』は字『仲達』、『孫権』は字『仲謀』です。


さあ、答えです。
「両者とも字に『仲』の文字がある」・・・それだと半分だけ正解ですね。
完全な答えとしては、「両者とも字に『仲』の文字がある事から、兄弟の生まれ順では次男である」です。


これは、中国に関してある程度詳しい人にはよく知られている事なのですが、漢字そのものの持つ意味から、その人の『字』を見ると兄弟の順番が分かる場合があるのです。
(もちろん、この法則に当てはまらない兄弟の方が多いです。)


さて、先程出した『司馬懿』と『孫権』、そしてその兄弟については、三国志マニアの人達の間では、ある点でとても有名です。
それは、彼らが「『字』を見ると兄弟の順番が分かる法則」に綺麗に当てはまっている兄弟だという事です。

『司馬朗伯達』
『司馬懿仲達』
『司馬孚叔達』
『司馬馗季達』

『孫策伯符』
『孫権仲謀』
『孫ヨク叔弼』(ヨクはコード非対応漢字)
『孫匡季佐』

『伯仲叔季』これが兄弟の生まれ順を表す漢字です。
『伯』が長男、次が『仲』、次が『叔』、最後に『季』です。
ちなみに、「4人より少なかったり多かったりした場合はどうするんですか?」と聞かれると困るんですが(笑)、「適当に付けるんじゃないですか?」と答えるしかありません。
事実、『司馬』の兄弟は『八達』と呼ばれ8人兄弟ですが、五男以降はこの『伯仲叔季』の法則とは関係なく『○達』って字を付けていますから。(ただ、傾向として『季』よりも後には『幼』って付ける場合が多い気がする。)


そして、『伯仲叔季』を見て「あれ?」と思った人も居たのでは?
そう、日常使う表現としての『伯父・伯母』と『叔父・叔母』の違いですね。『伯仲叔季』を見てお分かりの様に、自分の父母より年上は『伯父・伯母』、年下は『叔父・叔母』です。
つまり、三国志マニアなら、「孫家の長男『孫策伯符』だから『伯』が兄」ってすぐ解り、『伯父・伯母』と『叔父・叔母』を適切に使い分けられる様になります(笑)。


また、日常よく使われる言葉に『伯仲』というものがあります。
よくスポーツやバトル漫画で『実力伯仲』などと言う表現が出てくると思いますが、これも『伯仲叔季』が関係しています。


三国志の主人公の一人『曹操』の息子にして魏の初代皇帝『曹丕』ですが、彼は皇帝であると同時に当代一流の文学者でもありました。
曹操・曹丕・曹植の親子三人と、その周囲に集まった『建安の七子』と称される七人の文人達。それらを中心として花開いた『建安文学』は、中国中世の新たな文学の歴史の始まりであったのです。
そんな文化人としても一流の魏皇帝『曹丕』が記した、中国史上初の文学論評である『典論』に、『伯仲之間』という表現があります。
『伯仲之間』とは『長男と次男の間』つまり『そんなに差違が無い』『優劣が無い』の意味として書かれており、これを出典として、『伯仲』とは『優劣が無い』と言う意味で使用される様になりました。


皆さん、これからはスポーツ中継とかでアナウンサーが「実力伯仲」という言葉を使う度に、「ああ、1800年近く経った今でも、曹操の息子の曹丕が書いた『伯仲之間』という文章が我々の身近な場所で使われて居るんだなぁ」と思って下さい(笑)。


そんなこんなで、『あなたの身近な三国志』第1回、今回は兄弟の順を表す『伯仲叔季』と、それを元にした曹丕の『典論』より『伯仲』という言葉を紹介してみました。
歴史と文化が過去から続いているって言うのは良いですね。今が未来へと続いていく事を実感できます。


それでは、以上で終わり。


参考
小学館『現代漢語例解辞典』
光栄『三國志W事典』
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』司馬懿
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』曹丕
私家版 曹子建集
posted by 淵明 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係

2007年04月06日

日本人の既読者はどのくらい存在するのか?

ここに書いてあることが、理解できない。

そもそも、日本人の三国志既読者ってどのくらい居るんだ?本当に多いのか?
っていうか、『三国志』ってなんだ?
私みたいに、2万円以上する『三国志』(著・陳寿)の正史の日本語訳を読んでいるのか?それとも、平凡社あたりから出ている『三国志演義』(著・羅貫中?)の日本語訳を読んでいるのか?
「新入社員が人間関係を円満に運ぶための参考になる三国志」という本が、どこかの出版社から出ているのか?
ちなみに、私の知る限りのこの世にある三国志の本は、特段新入社員に読ませたいと思うほど、現実社会の人間関係の参考にはならないと思います。

普通に考えて、3位4位あたりのマナー本とか松下幸之助の本とかマネジメントの本とかが、新入社員に読ませたい本だろう。
1位とか2位あたりの本は、自分が教養人ぶってええかっこしいの為に無理矢理気の利いたことを言おうとしている感がひしひしと伝わってきて、滑稽なことこの上ないね!

あほらし・・・。

ちなみに、日本で三国志の名前を一番輝かせているのは、どう考えてもコーエーの真三国無双シリーズです。これのお陰で、小学校低学年でも関羽や張飛を知ってます。小学校教師の妹に聞いたので間違いないです。二番は横山光輝の三国志。これも、入門者向けとしては最高の出来です。
この二つが無ければ、現代日本人にとって三国志なんて水滸伝とたいして違いのない知名度だと思いますよ。

というか、ゲームと漫画以外の小説としての「三国志」(陳舜臣先生をはじめ、北方とかその他大勢の連中)を読んだことのある日本人って、多いのか?
中学高校の時に同級生で読んだヤツが数人いたが、その程度だろ?全体の5%前後くらい。いや、それでも十分多いのか?水滸伝や西遊記、もしくは平家物語や太平記や南総里見八犬伝なんかに比べたら。

まあ、私としてはオチの「埼玉県/女性/40代」のコメントが、一番大きく同意したいところだな。このアンケートの中で一番良い意見だと思うよ。

以上。
posted by 淵明 at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史関係